話は変わるけど、二十代のころのわたしはまったくハキハキしたところがなく、やる気のない若者だとおもわれていた。
 たぶん、そういう性格はなかなか変えられない。「こいつはだめだ」とおもわれている場所にいると、ますますだめになっていく。編集者と打ち合わせをしていても「ああ、自分は何も期待されていないなあ」とおもったり、「場違いなところに来てしまった」と悔やんだりしてしまう。
 ほんとうは見返してやるくらいの気持があったほうがいいのかもしれないけど、一度だめなやつというレッテルを貼られてしまうと、ちょっとやそっちではとれないのである。
 無力で無名な人間が、相手の認識を変えさせるのは、自分の性格を変えるよりもむずかしい。

 でも百人中九十九人にだめだといわれても、一人くらいはおもしろいといってくれる人がいる。そういう奇特な人を探すしかない。仕事につながらなくてもいい。
 できれば自分もそういう奇特な人間になる。

 一般受けしないおもしろさを発露する場に飢えている人はけっこういる。そういう人と手を組んで、お互いに自分たちの(わかりづらい)得意ネタを引き出し合う。そうこうするうちに、相手のツボがわかってくる。
 不特定多数を相手にすれば、萎縮して何もいえなくなるけど、徐々に身近なあぶれ者(お互い様)を楽しませることができるようになる。「これをおもしろいとおもっている人間は自分だけではない」とおもえるようになる。その自信がつくと、これまで萎縮していた相手にたいしても、すこしずつ立ち向かっていけるようになる。

 わかりやすい才能がない人間は「一般受け」ではなく「内輪受け」をどれだけ広げていけるかに賭けるしかない。